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東京地方裁判所 昭和60年(ヨ)2343号 決定

申請人

安信啓

被申請人

学校法人工学院大学

右代表者理事

高山英華

右代理人弁護士

五三雅彌

後山英五郎

主文

一  本件申請をいずれも却下する。

二  申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一当事者の申立て

一  申請人

1  申請人が被申請人大学において、昭和六一年四月一日から昭和六二年三月三一日まで専任教授の地位にあること及び昭和六二年四月一日から昭和六四年三月三一日まで暫定特別専任教授の地位にあることを仮に定める。

2  申請人に対し、被申請人が昭和五三年九月二九日に作成した定年規程及び暫定特別専任教員規程の効力を本案判決があるまで一時停止する。

二  被申請人

主文と同旨。

第二当裁判所の判断

一  被申請人が私立学校法に基づき設立された学校法人であること、申請人が昭和四七年四月に被申請人大学の教授(専任教授)として採用され、以後電気工学科において発変電工学、送配電工学等の講義を担当し、現在七二歳であることは、当事者間に争いがない。

申請人は、教授の定年は満七三歳、暫定特別専任教授の定年は満七五歳であり、退職日は定年に達した年度の年度末であるから、申請人は昭和六二年三月三一日までは教授の地位にあり、同年四月一日から昭和六四年三月三一日までは暫定特別専任教授の地位にあるべきものが、被申請人大学によって強制的にこれらが三年間削減され、教授の地位は昭和五九年三月三一日まで、暫定特別専任教授の地位は昭和六一年三月三一日までとされたと主張する。

二  そこで検討すると、まず、疎明資料及び審尋の結果によれば、次の事実を認めることができる。

1  被申請人大学においては、昭和二四年に設立された当時には教職員の定年制に関する規定がなかったため、昭和二八年に定年制を含めた就業規則が立案されたのを皮切りに、昭和三二年ころまで同規則案が修正を繰り返して何度も作成されてきたが、その制定、施行には至らなかった。

2  被申請人大学では、昭和四四年にいわゆる大学紛争が起こり、その過程で、教職員の間でも再び教授を含む全教職員の定年制を定める必要性が唱えられるようになった。そこで、被申請人大学は、同年、被申請人大学の教職員で組織される工学院大学教職員組合連合(以下「組合」という)に対し、定年年齢を教授七〇歳から職員五五歳までの六段階とする定年制を設けることの提案をし、これについて交渉するなどしたうえ、翌四五年、教授の定年を七〇歳とするなどの規定を含んだ就業規則案を作成し、全教職員にこれを配布した。その後、この就業規則案は組合との交渉などによって修正され、昭和四九年一〇月には、四回目の就業規則案が作成されて、これが全職員に配布されるとともに、組合にも提示された。この規則案においても、後記3の教授会での票決結果などを参考にして、教授の定年年齢は七〇歳とされていた。

3  一方、このような動きの中で、被申請人大学の教授会においても、定年制の制定についての議論が行われた。そして、教授会は、昭和四四年一二月、「定年制案の精神に基づき、次のとおり申し合わせ覚え書とした」として、(1)昭和四四年度については、昭和四五年三月三一日までに満七五歳に達した教授は辞任する、(2)教育、研究の都合上必要があるときは、理事会は、教授会の議を経て、この退職者のうちから期間を二年として暫定特別専任教授を委嘱することができる、(3)退職金の支給率は現行の二割増とし、暫定特別専任教授の基本給は退職時の半額とすることを理事会に申請して承認を得る、などを内容とする「教授定年に関する覚書」を作成し、理事会もこれを承認して、同年度はこのとおり運用された。更に、翌四五年度についても、年齢が満七三歳に引き下げられたほかはほぼ同内容の覚書が作成されてそのように運用され、以後の年度も同様のことが続けられていた。しかし、昭和四八年七月には、学長から各教授に対して教授の定年年齢を七〇歳とするとの大綱が提案され、教授会でこれを討議し「移行措置を考慮した上で最終的には七〇歳定年とすることの賛否」について票決したところ、賛成三六票、反対六票との結果が出た。

4  ところで、組合は、昭和四九年一〇月の就業規則案の提示を受け、定年制検討委員会を設けて調査、検討を重ねた。そして、その昭和五一年の調査では全国七二の大学の定年年齢の平均が教員六七・五歳、職員六二・七歳であったことを踏まえ、また、教員と職員との間に差別のようなものを設けることはなるべく避けたいという考慮などを加えて、組合は、昭和五二年六月、被申請人大学からの提案に対する回答案として、定年年齢を教員は六七歳、職員は六五歳の各年度末とすることを骨子とする「定年制についての交渉試案」を作成した。ただ、ここでも、退職金については優遇措置を図るものとし、また、教授会の前記の申し合わせなども考えて経過措置が置かれた。なお、組合は、同年三月、非組合員である教授をも委員として加えた定年制対策委員会を発足させ、定年制の推進について意見や協力を求めることとしていた。

5  被申請人大学は、この組合試案を受け、また、他の私立大学の教職員の定年年齢や定年に伴う措置などの調査をしたうえで、定年年齢を教員六七歳、職員六五歳とし、その年齢までの定年の段階的引下げと定年後の暫定特別専任教員への委嘱を定めた経過措置を設け、退職金の増額措置を加えた定年制案を作成した。そして、被申請人大学は、昭和五三年二月及び六月の教授会で、各教授からこの定年制案についての意見を聴いた。教授会において、申請人は反対の意見を述べたが、全体ではこの定年制案に賛成する者が多かった。

6  そこで、被申請人大学は、急務である定年制に関する規程を就業規則から切り離してまず制定することとし、同年六月、定年規程案(これに関連する暫定特別専任教員規程案を含む。以下同じ)を作成し、同月一七日にこれを教職員全員に配布した。そして、被申請人大学は、同月二一日には新宿校舎において、同月二七日には八王子校舎において、この規程案による定年制についての説明会を開催して教職員の意見を聴き、更に、同年七月一〇日には、教授のほか助教授及び講師も参加する教授総会において、これらの意見を聴いた。教授総会では、被申請人大学の定年制案について賛否のアンケートもとられたが、賛成六九、反対一六、白票一〇との結果が出た。更に、被申請人大学は、同年九月二五日の団体交渉において、この定年規程案に関し、基本的に組合の合意を得るに至った。

7  こうして、被申請人大学は、同年九月二九日に理事会を開催し、定年規程案につき議決を行って原案どおり可決し、同年一〇月一日からこれを施行した。そして、被申請人大学は、同日この定年規程を教職員に配布して周知させるとともに、同年一一月一日付けの学内広報紙にも定年規程を掲載し、教職員に配布した。

8  この定年規程中の教授に関する定めの主なものは、次のとおりである。

(1) 教授は満六七歳をもって定年とし、定年年齢に達した年度の年度末に退職する。

(2) 右(1)の定めにかかわらず、昭和五二年度末日現在の年齢が満五四歳以上の教授の定年年齢は次のとおりとする。

五二年度末日の満年齢が七三歳及び七二歳の教授の定年年齢は七三歳、七一歳の教授は定年七二歳、七〇歳及び六九歳の教授は定年七一歳、六八歳以下五八歳以上の教授は定年七〇歳、五七歳及び五六歳の教授は定年六九歳、五五歳及び五四歳の教授は定年六八歳

(3) 定年退職する勤続七年以上の教授又は右(2)の定めにより退職する勤続五年以上の教授については、任意退職の場合の退職金に一・二の倍率を乗じた退職金を支給する。

(4) 昭和五二年度末日現在の年齢が満五八歳以上の教授の定年退職者のうち希望する者を、定年退職の次の年度から二年度間、暫定特別専任教授に委嘱する。

(5) 昭和四五年度から実施の「教授定年に関する覚書」による教授の申し合わせの退職制度は五三年一〇月から廃止し、同覚書による暫定特別専任教授の制度は五五年三月末日をもって廃止する。

9  申請人は、被申請人大学に採用されるに当たっての面接において、電気工学科主任教授から、教授の定年は満七三歳であり、暫定特別専任教授の定年は満七五歳であると告げられていた。しかし、申請人は、新たに制定された定年規程に基づき、右(1)(2)(5)により満七〇歳に達した年度の年度末である昭和五九年三月三一日に教授を定年退職し、(3)により所定の退職金を受給し、(4)(5)により同年四月一日から昭和六一年三月三一日までの期間暫定特別専任教授を委嘱されて今日に至っている。

三  以上の事実によれば、被申請人大学においては、昭和四七年当時には定年制は存在しなかったが、教授会の申し合わせに基づき、教授は満七三歳に達した年度の年度末をもって辞任し、その後二年間は暫定特別専任教授の委嘱を受けるとの運用がされており、申請人もこれを前提として被申請人大学に教授として採用されたものである。ところが、昭和五三年一〇月に定年規程の制定により定年制が新設されたため、申請人の教授としての定年年齢は満七〇歳となり、その後の二年間を暫定特別専任教授としての委嘱を受けることになったというのであるから、これにより、申請人の労働条件は実質的に不利益に変更されたものである。

しかし、私立大学における実情にかんがみても、大学教授について定年制を設ける必要性が存することはいうまでもなく、六七歳という定年年齢も不当に低すぎるものとはいえない。そして、前記認定の制定の経緯や、これを一律に適用することによる急激な変更を緩和するために長期間にわたって段階的に定年年齢を引き下げる経過措置が設けられ、これによって申請人の場合は定年年齢が七〇歳とされていること、定年後に暫定特別専任教授の委嘱を受けることができることなども考慮すれば、この定年制は十分に合理性を有するものということができる。

したがって、申請人は、その同意がなくてもこの定年制の適用を受けなければならない。そうすると、申請人は、昭和五九年三月三一日をもって教授を定年退職し、その暫定特別専任教授としての委嘱も昭和六一年三月三一日をもって終了することとなる。

四  申請人は、この定年規程は被申請人大学と組合との間の労働協約であるから、非組合員である申請人に対しては無効であると主張する。しかし、前記認定によれば、この定年規程は被申請人大学が理事会で議決したものであり、それは就業規則として定められたものというべきであるから、この主張は失当である。

申請人は、被申請人大学は寄附行為四条に違反して教育基本法二条、六条二項、学校教育法五九条一項を無視ないし軽視し、また、教授の定年については教授会が審議するという事実たる慣習に違反して定年規程を制定したものであるから、これは教授に対しては無効であるとも主張する。しかし、大学教授について定年制を設けることが教育基本法に違反するものとは考えられないし、学校教育法五九条一項によっても、定年制について教授会の審議を経なければならないものとは解されない。なるほど、疎明資料によれば、被申請人大学の学則一三条は教授会の審議事項として「教員の人事に関する事項」を掲げていることが認められるが、定年制の問題が当然にこれに含まれるものとは解することができず、そのように解すべき事実関係を認めるだけの疎明もない。また、前記認定によれば、教授会の「教授定年に関する覚書」に基づく運用は、定年制を設ける必要性が唱えられる中で、その制定にはなお日時を要することから、それまでの当面の措置として、教授が自主的に一定年齢で辞任することを申し合わせ、被申請人大学もこれを承認してきたものというべきであるから、この運用をもって申請人主張の事実たる慣習があったものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる疎明もない。したがって、申請人のこの主張も失当である。

申請人は、このほかにも、定年規程の制定により設けられた定年制が無効である旨を種々主張するかのようであるが、いずれも前記認定に反する事実を前提とするか、あるいは、独自の見解に基づくものであり、採用することはできない。

五  そうすると、申請人の本件仮処分申請は、いずれも被保全権利について疎明がなく、保証を立てさせて疎明に代えることも相当でないから却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 片山良廣)

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